Archive for the '音楽' Category

2009年08月31日 01:07 am

うれしい出会い

 初音ミクや鏡音リンなどのソフトウェアで演奏された楽曲、なかでも、どこかの誰かが作ったオリジナルの曲を、いつからかたまにチェックするようになりました。
 いいなぁ好きだなぁと思う人や作品との出会いを、ここでもわたしは探しているのかもしれません。

   ★

 先日にも書いた「すすすす、すき、だあいすき」を作ったジェバンニPさんは、好きな作家のひとりなんです。

 ジェバンニPさんについては、アンディー・メンテというサークルで多々発表されているフリーゲームもよく遊ばせて貰っていますし、本名名義で講談社から出されている小説もチェック済みで、これはもうファンなんですと言わねばならないのかもしれないのですが……。

 「すすすす~」の他にも、「リンカーネーション」「鏡音リンでシューティングゲームを作ってみた」「リン廃宣言」「リンリンリンってしてくりん♪-テルミクス-」など、このところ延々リピートして聴いています。「リンのすべて!!」というアルバムに収録されている曲は、わたしは急にカラオケでマイクを握らされても歌えると思います。よく聴いています。

 歌詞が好きなのですよね。そして、曲が気持ちいいです。

   ★

 もうひとり、タイプが違うのですが、紹介したくなってしまいました。
 

 
 古川Pさん。この方の作品ではこの曲を初めて聴いたのですが、興奮してしまいました。
 この方の書く歌詞は少し詩に近いですね。詩的だと感ずる。わたしは現代詩っぽいものをあまり好きになれないほうなのですが、でも、心震えました。
 他に、「CRAWL」「ピアノ・レッスン」も良いです。曲に添えられた映像もまた。
 「Alice」の作者本人によるセルフカバーも素敵です。

   ★

 ああこの人は本当のアーティストだ。
 そう思うような出会いは、いつでも、心躍ります。とても劇的で、とてもうれしい瞬間、とてもうれしい出会いなんです。

2009年07月28日 11:29 pm

すすすす

本当の本当に好きな人に気持ちを伝えるとき、
ふるえずには、いられないのでした。
好きと告げることの、その重みを、自身で知っているから。
 
  ★
 

 
聴いていると、
じれったさに、なんだか可笑しくなってしまったり、
うれしくなって、すっかりほほえんでしまっていたり、
がんばれーと、わたしも応援したくなってしまっていたり。
そして、たまに、泣きそうになります。

2008年09月14日 12:23 am

こっち向いて

 アラジンにも Pabo にも今のところ少しも感心していない bkntmrg なのですが、羞恥心は、なかなかよく出来てますね。曲がいいのですね。
 羞恥心の『泣かないで』を今夜はリピートして聴いています。

   ◆

 この場所は land.to という無料のレンタルサーバを利用して、そこに wordpress というプログラムを設置して作っているブログなのですが、それが今月いっぱいで、継続できなくなりました。現状のままでは、うまくいかなくなると思います。今月末に予定されている land.to の仕様の変更のためです。
 どうしようかな、と、ここ二週間くらい思案しています。
 閉鎖するのか、移転か。移転するならどこにどういう形式でするのがいいか。それともいったんここは更新停止して、あらためて身辺雑記を書く場所を確保するか。

   ◆

 メインのウェブログの他にこの「空 瓶 通 信」を作ろうと決めたのは、悲愴な気持ちがその奥にはあって、そして、或る目的がありました。
 しかし今現在のわたしは、その気持ちにも目的にも、熱を持って接することが出来なくなっているのでした。

 悲愴な気持ちも、強い目的意識も、出来れば、少ないほうがいいなぁ。手と足を動かして、わたし、しあわせになりたいな。

 どうしようかなぁ。
 たとえば、「今日作ったパン」とか、「ベランダで咲いた朝顔」とか。そういう他愛のない写真や日記を、置いておく場所はこの先も持っていたいような気がするのですが。

   ◆

 羞恥心『泣かないで』より。

目を閉じて こっち向いて
魔法をかけるよ

 こういう魔法、かけるのも、かけられるのも、なんだかいいよねw

2007年09月06日 01:09 am

遠い昔から

 「千の風になって」という曲を聴いて、あなたの詩を思い出した、と言ってくれた人がいました。

 秋川雅史さんが歌うその曲がヒットしていますが、わたしはもう少し以前に、歌詞だけ読んで知っていました。新井満さんの訳詩です。
 そして、はじめて読んだその時の感想は、
 (遠いどこかに、わたしと似た言葉で話す人がいたんだな)
 というもの。
 そう。わたしもあの歌詞に、自分の詩を思い出したのでした。具体的な作品を思い出したのではなく、あの詩はまるで、わたしが書きそうな詩だと。

 
 時も場所も遠く離れた誰か、言語も違う誰かが、まるでわたしと同じような言葉で語っている。そういうことを感じた時にはいつも、不思議な気持ちになります。
 そしてまた、しみじみと、思うのですよね。

 人間というのは、そうそう変わっていかないのだ、ということ。たぶん遠い遠い昔から、人間というのは、変わっていないのです。
 愛する人を失ったときの悲しみや苦しみや。自分以外の誰かを、大切に思う気持ちや。
 心のなかに、大きな空があることや、やさしい、無常の風が吹いていること。星が、かがやくことも。
 また、誰かを想い、流す涙が、あたたかいということも。

2007年08月31日 01:08 am

世界はうつくしい

 悲鳴のようにきこえてしまう歌や文章からは、わたしは出来れば離れていたいと望んでいるのですが、だというのに、宇多田ヒカルさんの『ULTRA BLUE』というアルバムで、一番よく聴いてしまう曲が「BLUE」なのでした。

どんなにつらい時でさえ
生きるのはなぜ?

さあね

ブルーに なってみただけ

 まるで、わたしの言葉のようで。
 歌詞全体が、過不足なく、まるで。
 

   ★
 

 そして、「Beautiful World」という曲を、ここ数日、聴いています。

 生への強い肯定でもない。むろん否定でもない。これは、ただの感想、ただの”つぶやき”なのですよね。
 しかし、アルバムに『ULTRA BLUE』と名をつけた彼女の、この言葉は、胸を打ちました。

Beautiful World

 世界はうつくしい。

 心に、奈落からの風がごうと吹くような、つらい夜があっても。
 かなわない夢や恋や愛があっても。
 ただひとり、泣いていても。

 世界はうつくしい。君はうつくしい。

 うん。そう。そうだよね。
 

 ここ数日、この曲を聴いています。

2007年08月02日 07:08 pm

阿久悠さん

 8月1日、阿久悠さんが亡くなりましたね。母が沢田研二さんのファンでありますので、父とわたしと弟は、阿久さんの歌詞にずいぶんと慣れ親しんできたような気がします。大ヒットしたもの以外にも、沢田研二さんのアルバムには、阿久さんの書いた良い曲がたくさん収録されています。
 YouTube から引っ張ってきた動画は、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」です。沢田さん自身は、阿久悠さんのどこか確信に満ち満ちているような歌詞に、暑苦しさというか、クセの強さを感じ、歌うことに難しさを感じていたようですが、それでも非常に色濃く、寄り添い同時代を歩いた一人でしょう。 

 たとえば谷川俊太郎さんの詩に、わたしはもう両手をあげてしまいますが、阿久悠さんの書く歌詞にも、同じように両手をあげてしまいます。白旗。すげーな。あまりに才能がありすぎて、遙か遠い。まるで、遠くの山でも見るようでした。素晴らしい歌詞を、たくさん残された人ですよね。

2007年07月10日 11:07 am

爆発的な不安定感、あるいは、爆発的な不安感

 中村中さんの『友達の詩』を初めて聴いたのは、文房具屋でのことでした。雑貨のコーナーがあって、わたしはそこに置いているエッセンシャルオイルを物色していたのですね。エッセンシャルオイルの小瓶です。シリーズの全部を欲しいのだけど、今ここですべてを購入するわけにもなぁ、キリがないもんなぁ、でも一つか二つか今買って帰りたいのだけど、うーんどうしようか、どれがいいかなぁ、とか何とか。
 その時に、有線放送で流れてきたのでした。わたしは、思わず聴いてしまい、気付けばただただ聴き入って、その曲が終わるまでの間エッセンシャルオイルも文房具も他のなんの商品も見ているようで見ていない、店内をただ虚ろにうろうろとしているという迷惑な客になっていたのですが、実は、ここまではただの余談です。

 
 聴いて最初の感想は、かわった歌だなぁ、ということ。
 歌詞は、聞いていて心が少しつらくなって、思わず自分のことで涙ぐみそうになるような、そういう歌詞で、つまりとてもよくわかる、共感する、というような歌詞であったのです。
 でも、なんだろう、とてもかわっている。

 女性らしい声ですよね。声というか発声法というか。そして歌詞の内容も、女性らしい感じだとわたしは受けました。哀しみや諦めや許しや。大人の女の人がうたう歌だと思いました。

 しかし、なんだろう。この爆発的な感じは。穏やかさのうちにある熱というものとは違うエネルギーがこの歌にはあって、そこが”かわって”います。そこが特異です。
 爆発的な不安定感、あるいは、爆発的な不安感。この歌の奥には、そういうものがある。そしてたぶんわたしは、そこに心を揺り動かされているのでした。
 ひりひりと、やけるような。

 
 『友達の詩』という歌を作り演じている中村中さんのことを、今はもう少しだけ知っていて、それでこの歌がより悲愴な悲恋の歌のように聞こえてきていて、わたしは最初にこの歌を聴いた瞬間の感性には戻れないのですが。
 今夜の BGM は、中村中さんの『友達の詩』です。

2007年07月06日 08:07 pm

坂井泉水さん / ”永遠”のこと

 ZARD の坂井泉水さんが亡くなったのは、5月27日のことだそうです。もう40日くらい前のことなのですね。

 
 ZARD の曲は、ああこの歌知ってる聞いたことある、というものが多いのですが、なかでも、わたしにはただひとつだけ、ただワンフレーズだけ、ふと思い出し、歌っているものがあります。時々ふと思い出し、くちずさんでいるのです。

君と僕との間に 永遠は見えるのかな

 「永遠」という曲のサビの部分です。全体の歌詞は知りません。
 
   ◆
 
 永遠という言葉は、わかるようなわからないような、いや、やっぱりわからないよな、という言葉です。無限という言葉なんかと、同じような感じで。
 しかしわたしは或るひとつの結論を持っていて、それは、永遠というのは、一瞬のことなのだ、ということ。

 たとえば、出会いの瞬間のことです。
 出会いとは、同じ空間に初めて居合わせた、というものを今は指してはいません。
 出会いというのは、心が通じ合った瞬間のこと。私の気持ちをあなたが理解し、受け止める。そして私は、自分の気持ちをあなたが知って、受け止めてくれたのだと気付いている。そういう瞬間です。
 あれが、永遠ではないだろうか。

 本や映画との出会いや、自分の心のなかだけで得た出会い、誰かとのではなくて誰かの言葉との出会いなどなど、一方的なものもあるだろうと思いますから、説明が決して足りてはいないのですが、ここは最小限にします。つまり、ただの一例です。

 目があった瞬間です。自分の存在と或る一人の他者の存在が、静かにはっきりと対峙したときのこと。そしてそれは、冷たい瞬間ではありません。微かであれ熱を持った、信頼のやり取りの瞬間のことです。
 
   ◆
 

君と僕との間に 永遠は見えるのかな

 大好きな人はいますか?
 その人と、いつ会いたくなりますか? 朝も昼も夜もですか?

 永遠が、もしまだなら、見えるといいですね。
 
   ◆
 
 入院していたときに、わたしもまた早起きで、扉が開かれる時刻になるとすぐに靴に履き替えて、お気に入りの場所まで歩きました。
 待宵草が花をつけて、風に揺れている場所でした。その場所で、毎朝、小さな声で歌をうたいました。

 坂井さんが、亡くなってしまったその場所で、わたしと同じように早起きして、大好きな景色を眺め、歌をくちずさんでいたのかなと思ったら、突如として、彼女をちかしく思う自分になっていました。

2007年06月19日 12:06 am

かざぐるま

 あるライブ映像を見つけて、さっきから何度も見ています。
 本当はこのサイト上にいながら、その映像が見られるように記事にしたかったのですが、かなわなかったのでリンクを。

 YouTube – Kozo Murashita – kazaguruma (ごめんなさい。リンク切れです。2007/06/29 追記)

 村下孝蔵さんの『かざぐるま』です。
 村下さんの歌で、大好きなものはたっくさんあるのですが、この歌もそう。
 歌詞もメロディも声も、すべて素敵で、特にライブ映像には、うっとりして見入ってしまいます。
 よく自分でも歌います。

2006年12月17日 12:12 am

ぜんぶ好き!(2006-12-08)

 今夜の BGM は、SEAMO の「Runnin’」です。
 SEAMO については、今度ちゃんとした文章を書くつもり。この人はアーティストとして、結構ちからのある人なのですが、そのことをちゃんと書いた文章を、わたしはまだ、どこでも目にしていないのですよね。今度、本気出して書きます。
で、今日のところは、軽く。
 「Runnin’」という曲は、BENNIE K と一緒に作って歌っている「a love story」という曲のカップリングです。アルバムには入っていない、シングルにだけ入っている曲。
 「a love story」もなかなか、わたしは好きなのですよね。歌詞が、かわいいと言うか……。(あ、歌詞ではなくてリリック、というんだそうですね。でも、まあ、ここは”歌詞”という言葉でゆきます。) この歌の、最後の部分の歌詞はこうです。
 『大丈夫なふりをしてる君 大丈夫じゃない君もぜんぶ好き!』
 へへ。好き! だなんてさ。
 良いなぁ。誰かを好きになることで、心の扉が開いている人を見るのは、わたしは好きです。心の扉が開いていないと、好き!だなんてさ、書けないと思うの。この部分を歌うのは、SEAMO じゃなくて、BENNIE K のほうですし、歌詞も一緒につくっているので、SEAMO だけの手柄のように言うのは、本当は間違いであるのかもしれないですけどね。でも、この歌詞、「好き!」というのは、SEAMO の言葉です。たぶん。
 「Runnin’」ですが。これは競馬の競走馬と、三十を過ぎた自分自身とをかけて歌っている歌なのですが、こういう説明だけをきくと、つまらない作品のような気もするでありましょうが、良い曲です。bkntmrgは、とても好きな曲になりました。
 本当によく出来た歌詞なんですが、わたしは好きなのは……。
 『僕は期待に応えたい ここで勝たなきゃ未来は貰えない』
 とかね。
 『やさしさはいらない 欲しいのは結果だけ』
 とかね。
 SEAMO と同じように、わたしもまた、挫折を知る、三十路を過ぎた人なので、わかるなぁと思うところが多いのだと思います。
 やさしさはいらない、だなんて、本心から思っているわけではないですね。でも、そう言いたい瞬間があります。欲しいのは結果だけ。

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