bkntmrg は過去の或る一年か二年のあいだ、それなりに深い人間不信・人間嫌いに陥っていたのですが、その間に見付けた詩です。
 驚いたのですが、そういう心の状態であっても、わたしはこういう詩を好きになるのですね。人間不信であっても、人間嫌いであっても、自分のことが嫌いでも、それでも、こういう詩を好きになるわたしなのですね。そのことが、とても不思議でした。

 この詩は、祝福のうたです。生への。人間への。
 こういう詩が、わたしは好きです。

 この世に生まれ出たのなら、この先につらいことも、悲しいことも、苦しいことだって、必ず経験するのです。作中で、”おまえ”とやさしく呼びかけてい る人物も、そのことを知っているのです。しかし、それでも、彼の名は”歓び”。たとえそれが一時のたわむれの名であっても、です。

歌をうたってあげる間に
歓びよ、おまえに降りそそげ

 歓びよ、きみに降りそそげ。
 誰かの出立の日に、そう願える人でいられるのは、いいですね。そう願える人であれたらいいなと思っています。
 つらいことも、悲しいことも、苦しいことだって、その先には必ずあるのですよね。でも、それでも、これから楽しいことや、うれしいことだって、いっぱいある。そのことは、本当の本当のことなのです。
 
 
 ところでこの詩は、他の日本語訳も何篇か読んでみたのですが、なかでもこの吉田映子(あきこ)さんの訳詩が、いや、吉田さんの訳詩だけが、良かったです。
 これはブレイクの詩ではあるのですが、わたしは吉田さんの詩を読んだのだ、とも思っています。とても良い訳だと思います。この訳でなければ、わたしは、この詩に立ち止まることはなかった。
 
  
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