Published by bkntmrg on 2008年03月08日 at 16:02
木島始『とほうもない望み』
愛のうたや恋唄を bkntmrg は好きですが、再度読み返したくなる、読み返しているという作品とは、やはりなかなか出逢わないのです。
木島始(きじまはじめ)さんの『とほうもない望み』は、わたしにとってはそういう詩のひとつです。たまに読み返したくなる。誰かのことを想うときに、この詩の言葉を思い出していることがあります。
若々しさを、わたしはこの詩から強く感じるのですが、あなたの感想はどうでしょうか。そしてそれだけではなく、わたしは静かさをも感じます。「若いこと」と「静かであること」というのは、同じ場所にはあまりないものなのではないかとわたしは思っているのですが、しかしこの詩には、同時にあるのですね。
この詩の持つ静かさは少し独特で、たとえば星のかけらの沈黙、石の沈黙、そういう静かさです。宙を自在にゆくような空気のような軽さを持ちながら、どこかしっかりとした揺らぎのなさもある。落ち着いている。そういう静かさです。そして、それはなんと若々しさと同時にあるのです。
とほうもないと言いつつ、なお語る、そこには力強さがあります。思いの強さ、確かさがあります。しかし、「きみ」も読者も、プレッシャーは感じないのではないでしょうか。
若々しく、力強くもある。そういう愛の願望の言葉を受けたとき、ひとは時に気圧されることがあります。発せられた言葉の強さや重みに、負担を感じたり、反発心を覚えたり。
しかしこの詩に書かれている言葉には、どこか開放感があります。自由にたゆたえる広さがあります。わたしがわたしのままでいられる。みな自分が自分であるままで、この詩のまえに立っていられる。大きく深い愛の願望の言葉を受けながら、読者のわたしも、そしてきっと「きみ」も、自由でいられるのです。この詩は、無理のない、中庸をたゆたう、素敵なバランスを保つ愛の告白です。
この詩が、わたしの言葉であればいいな。この詩が、わたしの恋唄であればいいな。そんなふうに、思っているときがあります。
ただし、わたしの場合は「ぼく」ではなく、「きみ」の視点で。
(わたしの思いが、彼の人を燃やし光らせる、夜空の闇の静かさであれればいいな)
(なにものをも包み込む、夜空の闇であれたらいいな)
とても好きな詩です。
(2008年3月24日に、文章の手直しをしました。)
(2009年3月12日に再度、手直しをしました。)
Haru on 2007年10月13日 at 00:10 #
この詩、気に入りました。
言葉が音楽になっているというか、組み合わせが光っているというか、すごく上手いです。
こういう詩人もいたんだと知って、日本語の詩の可能性を感じました。
なんて、国語教師的な感想ですね(^^)
僕は4連・5連が気に入りました。
「君」を「闇」と表現しているところなど…
恋愛の本質を的確に表現していて、いいです。
人を好きになることって、闇に向かって、言葉のナイフを振り回していることかもしれない…
そういう、何とも言葉にならない感じが、言葉になっていて、そこがすごい詩だと思いました。
大した感想ではないですが、いい詩を紹介してくれてありがとうございます。
では、また。
bkntmrg on 2007年10月16日 at 02:10 #
「ことばの刃先で切りつけながら」と言っているわりには、
この詩は実際には、そう「切りつけ」てはいないようにわたしは思うのです。
それは、「ぼく」が、二人をして
「とらえどころのないふたつどもえの 魂のあまのじゃくどうし」
であると捉えていることや、
「こちらからきみにどう思われたいか」を語ってしまうことが、
「あつかましく」て「夢中」で、「とほうもない」ことだと
自覚しているということがあるからであり、
また、「ぼく」がこうであって欲しいと願う「きみ」の姿というのが、
事実、とほうもない場所にある。
愛の願望の言葉というのは、たいてい少し強くて、
それを受け取った側には、時にプレッシャーや反発心などが、
心に起こることもあるのだと思うのです。なにせ、強いのだもの。
ですが、この詩を読んでも、たとえ「きみ」がわたしのことであっても、
少なくともわたしは、落ち着かない気分になったりはしません。
わたしはわたしのままで、この詩の言葉の前に立っていられる。
良いなぁと思います。好きな詩です。
この詩がわたしの恋唄であればいいな、
とわたしは書いていますよね。
恋に落ちてしまったとき、恋愛の最中にいるとき、
わたしの心に起こるのは、「肩をもんであげるね」という感じ。
大好きなその人が、肩こりをしているなら、肩をもんであげる。
腰痛を持っているなら、腰を。
手がかじかんでいるなら、
掌で包み込んで、
彼の手をあたためてあげられるのがいいな。
わたしの場合は、そういう感じなのですよね。
だから、この詩の読み方も、
(大好きな人を、安んじて瞬かせておけるような、
夜空の闇の静かさであれるなら、それはいいな)とか、
(大好きな人に、心地よく、たゆたってもらえるような、
大事ななにものをも包み込む、
そういう闇であれるのなら、それはいいな)とか。
「ぼく」とは違う位置にいる、そういう視点であったりします。
恋愛の本質、というのは、わたしはよくはわからないのですが、
でもわたしにとっては、そういう感じ。
この詩、気に入っていただけて、良かったです。
Haruさん、コメントありがとうございました。
Haru on 2007年10月16日 at 23:10 #
なるほど。
闇は闇でも「動かぬ」「静かな」「包み込む」な闇なんですね。
それは僕にとってきっと「豊かな闇」なのでしょう。
この詩は、激しく求めているようで、でも、決して絡み合うことのない距離感が、悲壮な感じではなく、むしろ1つの満足として書かれているところがいいんですね。
僕にはこういう詩は書けないな。
なんて、最近詩を書く気力も時間もないですが…
もっと枯れて、中途半端な年齢を越えたら書けるかもしれない。
bkntmrgさんの詩の読み、的確で大変勉強になりました。
これからも、是非どんどん詩を紹介してくださいね。
bkntmrg on 2007年10月17日 at 00:10 #
的確、というのは、どうでしょうか。うーん。
読み方は人それぞれにあって、正解というものはないのではないかと思いますし、
misdirection になってしまっているような気もしますし。
この詩を読んで、自分が感じたこと、考えたこと、
それとも連想したことなんかを、
コメント欄で、引き続き語ってしまいました。
> 恋に落ちてしまったとき、恋愛の最中にいるとき、
> わたしの心に起こるのは、「肩をもんであげるね」という感じ。
このあたりからの話は、この詩にかこつけて、
ただ自分について語っています。