愛のうたや恋唄を bkntmrg は好きですが、再度読み返したくなる、読み返しているという作品とは、やはりなかなか出逢わないのです。
 木島始(きじまはじめ)さんの『とほうもない望み』は、わたしにとってはそういう詩のひとつです。たまに読み返したくなる。誰かのことを想うときに、この詩の言葉を思い出していることがあります。
 
 
  若々しさを、わたしはこの詩から強く感じるのですが、あなたの感想はどうでしょうか。そしてそれだけではなく、わたしは静かさをも感じます。「若いこと」と「静かであること」というのは、同じ場所にはあまりないものなのではないかとわたしは思っているのですが、しかしこの詩には、同時にあるのですね。
 この詩の持つ静かさは少し独特で、たとえば星のかけらの沈黙、石の沈黙、そういう静かさです。宙を自在にゆくような空気のような軽さを持ちながら、どこかしっかりとした揺らぎのなさもある。落ち着いている。そういう静かさです。そして、それはなんと若々しさと同時にあるのです。
 
 とほうもないと言いつつ、なお語る、そこには力強さがあります。思いの強さ、確かさがあります。しかし、「きみ」も読者も、プレッシャーは感じないのではないでしょうか。
 若々しく、力強くもある。そういう愛の願望の言葉を受けたとき、ひとは時に気圧されることがあります。発せられた言葉の強さや重みに、負担を感じたり、反発心を覚えたり。
 しかしこの詩に書かれている言葉には、どこか開放感があります。自由にたゆたえる広さがあります。わたしがわたしのままでいられる。みな自分が自分であるままで、この詩のまえに立っていられる。大きく深い愛の願望の言葉を受けながら、読者のわたしも、そしてきっと「きみ」も、自由でいられるのです。この詩は、無理のない、中庸をたゆたう、素敵なバランスを保つ愛の告白です。
 
 
 この詩が、わたしの言葉であればいいな。この詩が、わたしの恋唄であればいいな。そんなふうに、思っているときがあります。
 ただし、わたしの場合は「ぼく」ではなく、「きみ」の視点で。
 (わたしの思いが、彼の人を燃やし光らせる、夜空の闇の静かさであれればいいな)
 (なにものをも包み込む、夜空の闇であれたらいいな)
 とても好きな詩です。
 
 
 (2008年3月24日に、文章の手直しをしました。)
 (2009年3月12日に再度、手直しをしました。)
 
  
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