子守歌ときいてまず思い浮かべるのは、おかあさん、そして幼子、ではないでしょうか。
 おかあさんのことが好きな幼子と、その子のことが好きなおかあさんの、やさしくおだやかな風景。手のひらのあたたかさと、やさしい声と……。
 さて、この阪田寛夫さんの『くじらの子守歌』はどうでしょう。この詩には「おかあさん」も「幼子」も出てはきません。また、「ふるさと」というようなも のも出てはきません。「おかあさん」のかわりをつとめる「おねえさん」もいません。出てくるのは、くじら、うみ、なみのおと、わたし。
 少し、変わった子守歌ですよね。

  
 この詩には、読む人にためらいなく心を開かせるような、そこはかとない安心があります。眠ったあとで、そっと毛布をかけてくれるような、なぜか、そういうやさしい気配をも感じます。
 この詩は、おだやかなねむり、そのイメージを大人の心にもくれます。誰もがこの詩の「わたし」になって、しずかなうみのそこの、くじらに会いにいける。くじらのねむり、うみのねむりが、「わたし」のねむりとかさなって……。
 

kujira