Published by bkntmrg on 2008年10月07日 at 23:30
黒田三郎『死後の世界』
好きな詩人はと訊ねられたら、まど・みちおさんや辻征夫さんや、そして黒田三郎さんの名をあげることが多いです。
黒田さんの恋愛詩が好きです。”小さなユリ”が出てくる詩も好き。いつ読んでも良いなぁと思います。
しかし、もしかしたらわたしが幾分かは年をとったせいかもしれません。だんだん、この『死後の世界』のことを、黒田さんのどの作品よりもよく思い出すようになりました。
詩人が病や死と向き合う体験を経て、それを詩にしようしたとき、その作品は重くべったりとしたものになりがちです。私小説的な、どこかべたべたとした甘さを持った、観念的なものになってしまいがちです。
実は、そのようにしか書けないというのに病や死に挑もうとするのは、詩人としては怠慢と云うべきではないのかな、というようなことをわたしは思っています。
病や死というのは、誰もが出会う出来事です。なので、そのことの手記というのは、それがどういうものでも必ず共感されます。だけども、それは病や死が普遍なのであって、作品が普遍にまで届いているかどうかはまた別です。
”わたしの詩”ではなく、”みんなの詩”のところまで目指したい。詩人にはそういう視線を期待したい。というか、わたし自身に対して、そういうことを思っているのでした。
それはそうと。
黒田三郎さんの『死後の世界』です。
観念的な感じはまるでなく、平易な言葉で書かれている、どこか日記の文章のような詩です。そして、描かれているのは”生活”であり、生活のなかにある”死”です。”死”がふと入り込んできている”生”です。
黒田三郎さんの詩のほとんどに思うことですが、すばらしいと思うのは、この軽さです。死の影が入り込んでいる場面だというのに、この詩は重くありません。死を意識するほどの病や、そして死ということも、また、そういうものを経たあとの生というのも、重い景色になりがちです。ですが、この詩のなかの場面には、かすかな風が吹き抜けているような気配があります。また、作中にある新しい寝具のような、さらさらとしたかわいた感じもあります。
そしてこの詩は、平易で誰もがわかる内容で、そこもすばらしいところです。
そして、それらをふまえつつ一番にすばらしくて、印象深く感じるのは、この詩が、心に風景がひろがる作品だということ。
きっと、誰もがそうではないでしょうか。主人公の見ている景色が、あなたの心にも、浮かぶのではないですか。
がらんとした和室にひとりいて、真新しい障子に光がさしている。それを、おどろきの心で眺めている。
わたしは、まるで本当に見たかのように、その風景を”思い出し”ます。この詩を思い出すときというのはいつも、障子の光の風景が心に思い浮かぶときです。
鮮烈な詩です。
Haru on 2008年10月09日 at 00:00 #
お久しぶりです。
いい詩ですね。僕自身、死と生をテーマにした詩を書き上げたいと、習作みたいなものは何度か書きましたが、なかなかうまくいきません。
きっと、これって、本当に死線をさまよって、帰ってこないとダメなのかもしれませんね。
黒田三郎さんは、僕も好きな詩人です。
「夕方の30分」は昔教科書に載っていましたが、今になって読み返すと、身にしみます…
あくまで30分なんですね。そういうところが、実感こもっていて、作為があるようでないようで、だから好きです。
この詩も、最後の2行が効いていますね。
喜ぶべきか、悲しむべきか…
死は死者のものではなく、生者のものである
何とも言えないほろ悲しさが、伝わってきて、いいです。
こういう詩も、もっと国語の授業で取り上げるべきだと思いますね。
では、お邪魔しました。
bkntmrg on 2008年10月11日 at 18:53 #
「夕方の三十分」をちょっと読み返そうかなとしていたら、
現代詩文庫『黒田三郎詩集』と『新選黒田三郎詩集』を
結局、全部読んでしまいました。
「夕方の三十分」も、印象に残る詩ですよね。好きな詩です。
でもわたしもよりも、”小さい誰かのお父さん”でもいらっしゃる Haru さんのほうが、
より「身にしみる」のではないかなぁ、ということを思いました。
「死後の世界」は、黒田三郎さんの詩のなかでは、
とりあげられることが、どちらかというと少ないのでないかと思うんです。
でも、Haru さんが仰っているように、
国語の授業などでも、もっと取り上げられると
いいんじゃないかなぁとわたしも思います。
教科書で読んだというと、わたしの場合は「紙風船」だったと思います。
「夕焼け」もどこかで読んだとは思うのですが、教科書でだったかなぁ……。
ちょっと調べてみましたら、他には「ある日ある時」や「出発」、
「支度」などが過去に教科書に使われているようですね。
うーん。どれも良い詩だとは思うのですが、
でもわたしだったら、それらの詩ではなくて、
たとえば恋愛詩である「僕はまるでちがって」なんかを、
幼い人たちには読ませたいかなぁ。
詩って、「本当のこと」が書かれた文書だと思うんです。
それで、恋についての「本当のこと」を、
学校でもっと教えてもいいんじゃないかなと、わたしは考えるのですよね。
この「死後の世界」もいいですよね。
この詩の、日常のなかの静けさやさみしさ、無常の風みたいなものを、
わたしはもっとずっと幼い頃に、触れてみたかったという気がします。
Haru さん、コメントありがとうございました。
※ところで、詩のなかの空白行が、一行抜けていることに気付きました。
訂正して、さしかえました。