Archive for the '時事' Category

2009年08月30日 11:59 pm

棄権をしたこと

 五年後十年後、新聞やテレビ関係者は、どう思っているかなぁ。
 (麻生太郎さんに対しては、さすがに意地悪し過ぎたかな)、なんて、思ったりすることあるだろうか。たとえば、金がない奴は結婚するな、なんて、そう言ったのは麻生さんではなくて新聞やらテレビやらのメディアだと思うのだけどなぁ。
 すべての麻生叩きは善だった、日本を良いものにするために必要だった、と。そして、メディアによる操作は善だった、と。
 そういう落ち着き方は、わたしにはとても気持ち悪く、おそろしい情景のように思えるのだけどなぁ。

 あっ、そういえば、麻生さんはクリスチャンだから、それで右翼さんが……。うう。あ、あれ、こんな時間に宅急便が……。

 
 それはともかく。
 今日は選挙日だったので、投票に行きました。
 ですが、「最高裁判所裁判官国民審査」だけ、棄権したのですよ。

 わたし、最高裁判所の裁判官に対して、なにもチェックしてこなかったので、そのことをとても後悔しているところです。知らないのに、ペケをつけるわけにいかない。ペケをつけないで投票するのも、ちゃんとチェックしている人に対して迷惑だろうと思ったら、棄権するしかわたしには道がない気がして。
 今度は、棄権しなくていいように、ちゃんとニュースを見て、ちゃんとメモを残したり、しようと思います。

2008年09月22日 09:29 pm

わたしの好きな公園

 見知った場所で殺人事件が起こるのは今回で二度目だ。
 一度目も二度目も似た様態だ。二件とも被害者は幼い子で、遺体が発見されたのは公園の公衆トイレ、そしてどちらも実の親が犯人だった。一度目の犯人は被害者の実の父親、二度目は、今日母親が逮捕された。

 わたしの好きなあの公園が全国ニュースで取り上げられるのは、今回がおそらく初めてであったと思う。
 海があり山があり原っぱがあり、遊具や水飲み場、トイレがあり。みなが憩う良い場所なのだ。ひろびろとした良い場所だ。
 むごいことだと思う。当たり前だが、こういうことは、誰ひとりとしてしあわせにはならないのだ。亡くなった子も、周囲の人間も、あの公園を利用する人も、そして犯行に及んでしまったらしい母親も。

 わたしの書いたある詩のなかにこの公園が出てくる。今でもわたしの散歩コースである。恋人を案内し二人で歩いたこともあり、それも最近のことだった。

 子の母親があの公園をその場所に選んだこと。子をあやめることとあの公園とが、彼女のなかで重なった瞬間のことを、考える。彼女にとって、あの公園はどういう場所だったのだろう。わたしはほんの少しだけ、考えてしまう。

2007年08月02日 07:08 pm

阿久悠さん

 8月1日、阿久悠さんが亡くなりましたね。母が沢田研二さんのファンでありますので、父とわたしと弟は、阿久さんの歌詞にずいぶんと慣れ親しんできたような気がします。大ヒットしたもの以外にも、沢田研二さんのアルバムには、阿久さんの書いた良い曲がたくさん収録されています。
 YouTube から引っ張ってきた動画は、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」です。沢田さん自身は、阿久悠さんのどこか確信に満ち満ちているような歌詞に、暑苦しさというか、クセの強さを感じ、歌うことに難しさを感じていたようですが、それでも非常に色濃く、寄り添い同時代を歩いた一人でしょう。 

 たとえば谷川俊太郎さんの詩に、わたしはもう両手をあげてしまいますが、阿久悠さんの書く歌詞にも、同じように両手をあげてしまいます。白旗。すげーな。あまりに才能がありすぎて、遙か遠い。まるで、遠くの山でも見るようでした。素晴らしい歌詞を、たくさん残された人ですよね。

2007年07月06日 08:07 pm

坂井泉水さん / ”永遠”のこと

 ZARD の坂井泉水さんが亡くなったのは、5月27日のことだそうです。もう40日くらい前のことなのですね。

 
 ZARD の曲は、ああこの歌知ってる聞いたことある、というものが多いのですが、なかでも、わたしにはただひとつだけ、ただワンフレーズだけ、ふと思い出し、歌っているものがあります。時々ふと思い出し、くちずさんでいるのです。

君と僕との間に 永遠は見えるのかな

 「永遠」という曲のサビの部分です。全体の歌詞は知りません。
 
   ◆
 
 永遠という言葉は、わかるようなわからないような、いや、やっぱりわからないよな、という言葉です。無限という言葉なんかと、同じような感じで。
 しかしわたしは或るひとつの結論を持っていて、それは、永遠というのは、一瞬のことなのだ、ということ。

 たとえば、出会いの瞬間のことです。
 出会いとは、同じ空間に初めて居合わせた、というものを今は指してはいません。
 出会いというのは、心が通じ合った瞬間のこと。私の気持ちをあなたが理解し、受け止める。そして私は、自分の気持ちをあなたが知って、受け止めてくれたのだと気付いている。そういう瞬間です。
 あれが、永遠ではないだろうか。

 本や映画との出会いや、自分の心のなかだけで得た出会い、誰かとのではなくて誰かの言葉との出会いなどなど、一方的なものもあるだろうと思いますから、説明が決して足りてはいないのですが、ここは最小限にします。つまり、ただの一例です。

 目があった瞬間です。自分の存在と或る一人の他者の存在が、静かにはっきりと対峙したときのこと。そしてそれは、冷たい瞬間ではありません。微かであれ熱を持った、信頼のやり取りの瞬間のことです。
 
   ◆
 

君と僕との間に 永遠は見えるのかな

 大好きな人はいますか?
 その人と、いつ会いたくなりますか? 朝も昼も夜もですか?

 永遠が、もしまだなら、見えるといいですね。
 
   ◆
 
 入院していたときに、わたしもまた早起きで、扉が開かれる時刻になるとすぐに靴に履き替えて、お気に入りの場所まで歩きました。
 待宵草が花をつけて、風に揺れている場所でした。その場所で、毎朝、小さな声で歌をうたいました。

 坂井さんが、亡くなってしまったその場所で、わたしと同じように早起きして、大好きな景色を眺め、歌をくちずさんでいたのかなと思ったら、突如として、彼女をちかしく思う自分になっていました。

2007年06月08日 12:06 am

儲かるべきである

コムスンの不正のニュースで、どっかの知識人が、偉そうにコメントを寄せていたのですけどね。
「福祉事業というのは、儲からないものなんです。それを、コムスンは儲けようとしてしまった。そこがいけなかった」と。

あほちゃうか、と。あほか、と。

福祉事業は、儲からなくちゃいけないんですっ。絶対に、きちんと、儲かるべきなんですっっ。
相応に、適正に、まっとうに、絶対に、ちゃんと、儲かるべきなんですっっっっ。
 
いけなかったのは、不正を働いていたこと。
福祉事業は、儲かるべき分野です。現時点で「儲からないもの」であるなら、それは、どうにかしていかなくちゃいけない問題なんです。

もう、ほんと、あほか、と。
はてな匿名ダイアリー:コムスンの不正のニュースで

 全文引用です。いや、ま、実はこれ、わたしが匿名で書いた文章です。こちらにも置いておきます。こういう感じの文章も書けます。

 付け加えることは特になし。

2007年04月01日 11:04 pm

カモちゃんのこと

 先月の20日に、鴨志田穣さんが亡くなりました。腎臓ガン。42歳でした。
 鴨志田さんというのは、フリーのカメラマンで、かつ文筆家。漫画家の西原理恵子さんの元夫で、そして内縁の夫でした。

 訃報を聞いて、bkntmrgはショックで、しばらく涙が出ていました。
 鴨志田さん……カモちゃんが、もうながくは生きられないということを、他の多くのファンと同じように、わたしもまた少し前から知っていたのです。知っている気がしていたのです。ですが、ショックでした。
(ああ、本当に、亡くなっちゃうんだな。亡くなっちゃったんだな。)

 喪主は西原さんでした。再び同居はしたけれども、籍を入れることはなく、でもやっぱり、二人は本当に夫婦であったのですね。
 西原さんと、そしてまだ幼い二人のお子さんとが、悲しんでいるんじゃないかしらとふと想像しては、わたしもまた、悲しいような気分になります。
 
   ◆
 
 わたしは鴨志田さんの文章が好きでした。もの書き臭さがない、企みのない、良い文章です。一般的にはうまいという文章ではないのでしょうが、わたしはうまい文章だと思う。良い文章です。わたしは好きなのです。

 一方で、鴨志田さんの撮る写真というのは、特別誉めたくなるような、そういう派手なものではなかったようにわたしは思うのですが、ただ、とびきり印象に残っているものがあります。

 『鳥頭紀行 ― くりくり編』という本のなかに、それはあります。
 44頁目(ミャンマー出家編の鳥頭余話)。海のなかに首まで浸かって、笑顔を見せている西原さんが、アップで映っています。
 あるいは60頁目(九州タコ釣り編の鳥頭余話)。船の端で、夕暮れの水平線をバックに、やっぱり西原さんが映っています。

 それらの写真をはじめて見たときに、わたしは感じ入ってしまったのです。
 今あらためてその写真を眺めてみても、やはり、同じ感想です。
(……カモちゃんって、ほんっとに、西原さんのこと好きなんだなぁ。)

 西原理恵子さんは、外見のなかなか可愛らしい人なのですが、カモちゃんの撮ったその二つの写真は、可愛いとか綺麗とか美人だとか、そういう感じではないのです。
 だけども、とてもきれいな写真です。

 カメラを持つカモちゃんの、心の声が聞こえてくるようなのです。
 ”……いい女だなぁ、……きれいだなぁ”
 ひとりの女性を前に、ため息をついている。感嘆している。あれらは、そういう写真です。
 
   ◆
 
 AERAという雑誌に、鴨志田さんの告別式のことが、記事になって書かれてありました。(貧乏ですみません。立ち読みしました。)
 西原さん、泣いてたって。そうか。泣いてたのか。わたしも泣けてきそうでした。(立ち読みだったので、涙は堪えました。)

 「アルコール依存症というのは、8割が死に至る恐ろしい病気であり、それと闘い打ち勝ったカモちゃんは本当は意志の強い人間なのだと、そう覚えておいてほしい」とか。「一緒に暮らした最後の半年間が、本当に幸せだった」とか。そういう内容の、西原さんが語った言葉が、たくさん書かれてあったのですが、なによりも胸が痛くなるような、泣くのを堪えるのがつらいような、そういう気分になったのは、記事の最後に書かれていた部分です。

 西原さんは、骨になったカモちゃんに向かっていって、こう言ったそうです。
 「成仏しなくてもいいよ。一緒におうちに帰ろう。」

 これを書きながらも、胃のあたりがきゅーとしぼんで、わたしは泣いてしまいそうなのです。

2006年12月17日 12:12 am

わたしならば、ビデオテープをあげたりしない(2006-06-30)

 たとえばわたしに子供がいて、その子の成長の記録や思い出を残すために撮影した、そういうビデオテープがあるとしましょう。そのビデオテープには、自分の子供の様子とともに、近所に住んでいる他の子供も一緒に映っている。自分の子供と近所の子供が、一緒に遊んでいるのが映っている、と。
 それで、後々になって、そのビデオに一緒に映っていた子供が、何らかの事情で亡くなってしまう。そういう状況が、自分の身に起こったとしましょう。その時、わたしはどうするか。
 そんな時、わたしは、決して*何もしない*でいるでしょう。ビデオテープのなかから、亡くなった子が映っている部分を抜き出し編集して、その家族に渡すというようなことは、とてもじゃないですが、しないでしょう。

 何故かというと、そういった行為は、相手の”悲しみ”に触れすぎる行為である、と信ずるからです。たとえ善意のつもりであっても、そういう行為、そういう”思い出の品”は、亡くなった子をおもう人の心をえぐるでしょう。
 *今もなお生きている子供*のほうを主役にしたビデオです。亡くなった子は、脇に映っている。その対比は、見るにつらいもののはずです。加えて、音声も捉えた動画というのは、きっと生前の子供の姿を生き生きと捉え*過ぎ*ているでしょう。そういうものを、子を亡くしてすぐの家族、母親や父親に見せるのは、とても酷だと思います。
 ではたとえば、動画ではなく静止画、それ程に生々しくないであろう写真ならばどうでしょう。その写真が、亡くなった子ひとりのみで写っているものである場合には、もしかしたらわたしは、家族にあげたかもしれません。しかしそれは、四十九日も過ぎていないような亡くなってすぐの時にではなく、もう少し時が経ってからです。
 ビデオテープも、亡くなった子のみが映っているシーンが多くある場合には、その部分だけを切り取って編集をして、そっと渡すということもあるかもしれません。しかしそれも、時が悲しみを癒し始めたかもしれない、一年や二年や、いやもっと経ってからですね。もしもあげるとするならば、何年も何年も経った後にです。

 これは、秋田で起こった男児殺害事件について、容疑者が逮捕されるずっと前に、わたしが考えたことです。
 亡くなった娘が映っているビデオテープを、四十九日も済まさぬような時期に、その母親に手渡した人がいるということ。そこに、わたしは驚いたのでした。ビデオテープを手渡した側の、この立ち入り方は尋常ではない。ひとの心に立ち入り過ぎる。子を亡くした母親の、悲しみに触れすぎている。

 それで……。それでなにかというと、別になんでもない。この話はおしまいです。ここから、別の何かを言いたいのではなく、ただそういうことを思った、ということです。


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