Archive for 7月, 2007

2007年07月30日 12:07 am

引っ越し

手打ちそば
 はてなダイアリーから、この場所に引っ越してきました。そのことを、今日、公開しました。

 せっかく引っ越ししたので、そばを食べようと、今夜はそば打ちをしました。
 そば打ちは、夢中になってしまう人の気持ちがわかります。だって、なかなかうまくいかないんだもん。味は、だいたいいつも美味しいんですけどね。でも、もう少しこう、やわらかいほうが良いなとか。麺が切れやすいな、とか。見かけがちょっとさえないよなとか。毎回、反省点があって、そして、次こそは! と思うのですね。
 わたしにとっての、そば打ちの大きな魅力は、そば湯をたっぷり独り占めできる、ということ。そば湯、なごみます。おいしい。そばそのものをわたしは大好きですが、そば湯も好きです。なので、最近、よくそば打ちをしています。
 で、わたしの今回の最大の反省点ですが、それはランチョンマットに、アイロンをかけておくべきだった、ということでした。

2007年07月27日 11:07 pm

アイス

 今日は、m**川まで散歩をしました。川を見たくなって。
 川べりに腰掛けて、うたをうたったり、ぼーっとしたりして、しばらく過ごしました。
 水面がきらきらして、行って良かったなと思ったのですが、しかしどうも、目を日焼けしたような気がします。

 帰宅して、体のだるさが強いので、ふと思い体温をはかったら、38度1分。
 帰宅途中でアイスを買いたくなったのですが、我慢しました。そのことが悔やまれました。アイス、買えばよかった。

 今日はもう寝ます。明日目覚めたときには、熱が下がっているといいな。アイスは、熱が下がっていても、買いに行こう。
 おやすみ。ばいばい。

2007年07月22日 12:07 am

河合隼雄先生

 河合隼雄さんが亡くなられました。2007年7月19日。脳梗塞。七十九歳。 

 河合先生の言葉は、わたしの心に、いつもしっくりきました。河合先生の著書を、わたしは追いかけて読みました。
 誰にもわかりやすい言葉で、本当のことを語る人。誰のことをも傷つけないような冗談を、いつでも言っている人。人間に対するあたたかみと、同時に、どこかでいつも強烈に醒めている人。河合先生のことが、わたしは好きでした。 

 いつかお会いしたかった。言葉はたとえ交わさなくっても、それでもいいのです。少し離れた場所から、お姿拝見したかった。河合先生の気配、佇まい、輪郭を、わたしはいつか、この目にしたかった。 

 入院中ベッドのなかで、先生はどんなことを考えたでしょう。どんな夢を見たんでしょう。

 河合先生、お疲れ様でした。先生、ありがとうございました。

2007年07月12日 01:07 am

つらかったですね。ひとりで、よくがんばってきましたね。

 かわいそうに。つらかったですね。
 今まで、ひとりでかかえていたのですか。がんばってきましたね。

 とかね。
 そんなふうに言って、話をただ聞いてくれる人が、なぜわたしにはいないんだろうか。

 もしわたしなら、そんなふうに、話を聞いてあげられるのにな。やさしさや思いやりではなくて、これはテクニック。いや、やっぱりやさしさや思いやり、なのかもしれないけど。

2007年07月10日 11:07 am

爆発的な不安定感、あるいは、爆発的な不安感

 中村中さんの『友達の詩』を初めて聴いたのは、文房具屋でのことでした。雑貨のコーナーがあって、わたしはそこに置いているエッセンシャルオイルを物色していたのですね。エッセンシャルオイルの小瓶です。シリーズの全部を欲しいのだけど、今ここですべてを購入するわけにもなぁ、キリがないもんなぁ、でも一つか二つか今買って帰りたいのだけど、うーんどうしようか、どれがいいかなぁ、とか何とか。
 その時に、有線放送で流れてきたのでした。わたしは、思わず聴いてしまい、気付けばただただ聴き入って、その曲が終わるまでの間エッセンシャルオイルも文房具も他のなんの商品も見ているようで見ていない、店内をただ虚ろにうろうろとしているという迷惑な客になっていたのですが、実は、ここまではただの余談です。

 
 聴いて最初の感想は、かわった歌だなぁ、ということ。
 歌詞は、聞いていて心が少しつらくなって、思わず自分のことで涙ぐみそうになるような、そういう歌詞で、つまりとてもよくわかる、共感する、というような歌詞であったのです。
 でも、なんだろう、とてもかわっている。

 女性らしい声ですよね。声というか発声法というか。そして歌詞の内容も、女性らしい感じだとわたしは受けました。哀しみや諦めや許しや。大人の女の人がうたう歌だと思いました。

 しかし、なんだろう。この爆発的な感じは。穏やかさのうちにある熱というものとは違うエネルギーがこの歌にはあって、そこが”かわって”います。そこが特異です。
 爆発的な不安定感、あるいは、爆発的な不安感。この歌の奥には、そういうものがある。そしてたぶんわたしは、そこに心を揺り動かされているのでした。
 ひりひりと、やけるような。

 
 『友達の詩』という歌を作り演じている中村中さんのことを、今はもう少しだけ知っていて、それでこの歌がより悲愴な悲恋の歌のように聞こえてきていて、わたしは最初にこの歌を聴いた瞬間の感性には戻れないのですが。
 今夜の BGM は、中村中さんの『友達の詩』です。

2007年07月07日 12:07 am

今朝、収穫した。

トマト

2007年07月06日 08:07 pm

坂井泉水さん / ”永遠”のこと

 ZARD の坂井泉水さんが亡くなったのは、5月27日のことだそうです。もう40日くらい前のことなのですね。

 
 ZARD の曲は、ああこの歌知ってる聞いたことある、というものが多いのですが、なかでも、わたしにはただひとつだけ、ただワンフレーズだけ、ふと思い出し、歌っているものがあります。時々ふと思い出し、くちずさんでいるのです。

君と僕との間に 永遠は見えるのかな

 「永遠」という曲のサビの部分です。全体の歌詞は知りません。
 
   ◆
 
 永遠という言葉は、わかるようなわからないような、いや、やっぱりわからないよな、という言葉です。無限という言葉なんかと、同じような感じで。
 しかしわたしは或るひとつの結論を持っていて、それは、永遠というのは、一瞬のことなのだ、ということ。

 たとえば、出会いの瞬間のことです。
 出会いとは、同じ空間に初めて居合わせた、というものを今は指してはいません。
 出会いというのは、心が通じ合った瞬間のこと。私の気持ちをあなたが理解し、受け止める。そして私は、自分の気持ちをあなたが知って、受け止めてくれたのだと気付いている。そういう瞬間です。
 あれが、永遠ではないだろうか。

 本や映画との出会いや、自分の心のなかだけで得た出会い、誰かとのではなくて誰かの言葉との出会いなどなど、一方的なものもあるだろうと思いますから、説明が決して足りてはいないのですが、ここは最小限にします。つまり、ただの一例です。

 目があった瞬間です。自分の存在と或る一人の他者の存在が、静かにはっきりと対峙したときのこと。そしてそれは、冷たい瞬間ではありません。微かであれ熱を持った、信頼のやり取りの瞬間のことです。
 
   ◆
 

君と僕との間に 永遠は見えるのかな

 大好きな人はいますか?
 その人と、いつ会いたくなりますか? 朝も昼も夜もですか?

 永遠が、もしまだなら、見えるといいですね。
 
   ◆
 
 入院していたときに、わたしもまた早起きで、扉が開かれる時刻になるとすぐに靴に履き替えて、お気に入りの場所まで歩きました。
 待宵草が花をつけて、風に揺れている場所でした。その場所で、毎朝、小さな声で歌をうたいました。

 坂井さんが、亡くなってしまったその場所で、わたしと同じように早起きして、大好きな景色を眺め、歌をくちずさんでいたのかなと思ったら、突如として、彼女をちかしく思う自分になっていました。


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